« あの魔神 | トップページ | 条文を読んでみるはなし(55)--ちょっと前振り編 »

2011年2月24日 (木)

蓋し名言?

午後6時頃に、ふと事務所から外出してみたら、何となく空がまだ明るいような、そして空気も暖かなような、そんな感じがあって、

あぁ、春になってきたか

と。

某所で、明細書の「品質」問題について盛り上がっている今日この頃ですが、ある程度まとまった見解を以前書いたものがあるので、少々リライトして載せようかなぁと思っていましたら、じゃっかん出遅れてしまったみたいです。
 既に終熄に向かいつつあるみたい。

■ クレイムドラフト論や明細書論については、当然ながら、以前からいろいろな方々のご意見を拝聴していまして、そうした意見のうち、個人的に心にひっかかっているものを採り上げてご紹介してみようかと。

■ その1.

 こちらは、とある大御所の先生がおっしゃったことですが---

日本ではクレイムドラフトについて、しっかり考えられたことがない。

 クレイムドラフトの方針は、出願の目的等によっても大きく異なってきますので、一言でドラフトと言っても多種多様だと思います。ですが、この言葉は、権利行使の問題を話しているときのコンテクストで現れたものです。
 クレイムの問題は、個人的には結局のところ、

発明をちゃんと捉えてるか

の問題に帰着するんだろうな、と、いつも思っています。ま、その辺は書き始めるとキリないので次…

■ その2.
 こちらは、また、とあるベテランの弁理士さんの一言です。

明細書っていうのは、分かりやすく書いてあればそれでいいんだよ。

 この言葉は、実に深淵でして、「発明」を表現して分かりやすく説明するなんていうのは、実に技術的なことなのであります。
 その昔は、明細書は分かりにくいほどいい、などということがまことしやかに言われていた時代もありましたが、私としてはそうした発言には常に懐疑的でした。高度に多義的な文から、種々の「技術」を弄して目的とする解釈を引き出す、などというのは、偶然にできるというならいざしらず、それを企図してできるような話じゃぁあるまい、というのが私の思いです。
 それに対し、分かりやすく書いてあれば、というのは、いろいろな観点から、正解を言い当てている気が致します。

■ その3.
 こちらは、以前の同僚のひとこと。

まったく、明細書なんてのは、出願時に苦労するか、中間時に苦労するかのどっちかだ。

 いつだって全力を尽くせよ、と言われそうですが、それはそうしているのです。しかしながら出願の目的がどうしても出願時に定まっていない場合等、出願時には《後日、ある程度の事態には対応できる程度》の記載しかできないときというのも、長年やっているとあるわけです。そしてこうした案件ほど、中間時にはモンスターのような存在になります。
 一方、出願時にめいっぱい検討してあると、中間の際には方針が自動的に定まってしまうほどのこともあります。換言すれば、「諦めどころ」も、「落としどころ」も見えてくるので、そういう権利が欲しいかどうかという判断が付きやすい、ということでもあります。

■ まぁ、個人的な「品質」議論については、機会があれば、酒の席ででもぶちまけることにしようかと思いつつ、本日はここまで。

|

« あの魔神 | トップページ | 条文を読んでみるはなし(55)--ちょっと前振り編 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 蓋し名言?:

« あの魔神 | トップページ | 条文を読んでみるはなし(55)--ちょっと前振り編 »