乱読日記[112]
アガサ・クリスティ他,「漂う提督」
早川書房
売り上げランキング: 715545

黄金時代の遊び心
名前だけで充分ですしばらくミステリ作品を挙げてこなかったので、年頭にあたり初心に帰って(?)、ミステリの一作を。
▽ とは、いえ、この「漂う提督」は、他のミステリとは異なる特異な点がある。
■ …
「ほう、どんな点が特異だというんだい、ホームズ。」
ホームズは、あかあかと燃える暖炉に足を向けてだらしなくソファにもたれながら、そんなことはどうでもいいだろうと言わんばかりの態度で、
「この記事の冒頭を見てみたまえ。君にも気がつくところがあるだろう、ワトスン。」
と言った。
私はこのホームズの態度に、いささかむっとしつつも、記事の冒頭に目を走らせた。
「おや。そういえば、『アガサ・クリスティ他』とあるね。この『他』というのはどういう意味なんだろう。」
ホームズは相変わらず投げやりな態度で言った。
「そうさ。この『他』というのは、当然ながら作者が複数であることを意味する。しかるにこの『漂う提督』は、短編集ではないんだ。」
「では一体、どういうことなんだ。アガサ・クリスティと他の作者との共著とでもいうのだろうか。」
ホームズは、よっこらしょ、とソファの上に体を起こし、件の書籍を手にとって、パラパラとページをめくりながら答えた。
「そうだね。『他』の作者には、ドロシイ・L・セイヤーズ、G.K.チェスタートン、F.W.クロフツなど英国内外で著名な作家も多い。しかし彼らは皆、個性的だからね。共著ということはないね。厳密な意味ではね。」
正直に言うが、私はだんだんと混乱してきた。
「たくさんの作者がいるのに共著でないとは、どういうことなんだろう。だって、一篇の長編なのだろう?」
ホームズは、例の内省的な態度をたたえつつ、目だけを異様に光らせながらこう言った。
「だからさ。『厳密な意味では』共著ではないんだがね…」
■ …いいかげん、このくだらない創作を打ち切れという声が聞こえてきそうなので、ここでホームズごっこは止めにする。本書は、いわば多数作家によるイタズラ、というか、実験的創作というか、「お遊び」的作品である。アガサ・クリスティら、計13人による「リレー小説」なのである。
リレーをするにあたっては、各章を一人ずつ担当するのであるが、各担当作家は、
「自分以前の担当作家がどんな事件解決法を念頭に置いて書いたかをまったく知らずに」
かつ、自分の章では、各自の事件解決法に沿って忠実に創作をしたという話である。本書の巻末には、各担当作家が、自分としてはどんな事件解決法を念頭に置いていたかを告白するページが設けられていて、これはこれで一篇の読み物を構成している。
■ 著者の一人である、ドロシイ・L・セイヤーズは、この「作家のお楽しみ」が、読者にも楽しめるものであるかは、読者の判断にお任せする、と書いている。
私個人の感想を正直に言えば、本書は、ミステリとしては駄作の部類に入ってしまうのではないかと思う。なにせ、主人公の警部が章をまたぐごとに右往左往するし(これは各担当作家の事件解決法が区々であることに由来すると思う)、証拠となる物件も、---各担当作家が好き勝手に作り出すものだから---通常のミステリよりもバラエティに富んでいて、読み手がついていくのが大変なのだ。
■ ただ、例えばそういう一種の混乱状態を、驚くべき豪腕で収拾したアントニイ・バークリイの才能は刮目に価する。しかもミステリらしい急転直下。なまなかの手腕ではない。こんな豪腕ぶりが見られるんだ、と思えば、また、各担当作家のかなり区々な事件解決法を楽しめるのだ、ということであれば、つまりはそんな、マニアックな楽しみが欲しい、というのであれば、この本はお勧めできる。ただ単純にミステリが楽しみたい、というのであれば止めておくことをお勧めしたい。
そういう点で、この本は「特異」なのである。
■ …
「なるほどね。そりゃ、特異だね。それじゃホームズ、君なら、誰の事件解決法に乗るかね。」
ホームズは私の質問に対して、いきなり気が抜けた、とでもいうように、「漂う提督」の書籍を、ファイルを詰め込んだ棚に向かって放り投げ、
「僕はね、ワトソン。後から後から好き勝手な証拠を作り上げて事件解決を図ろうとする創作の世界には生きていないんだよ。」
と言って、パイプに手を伸ばした。
| 固定リンク





コメント