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2008年4月16日 (水)

壮大なはなし

おおよそ地球の周りにいくつほどの人工衛星が回っているのか知らないが、幼少のみぎり、兄の口径6cmの屈折式天体望遠鏡を自宅の窓辺に勝手に持ち出して土星を眺めていたときのことである。略円筒形の小さな銀色の物体が、視野を悠然と横切っていったのである。

宇宙人だ

などと思ったはずはなく、直ちに人工衛星であることは理解したものの、望遠鏡の集光力に感激するとともに、こんな偶然はどれほどで起るものだろうかと、しばし考えた。

▽ 一昨日の「パテログ」に「宇宙でも特許紛争」(http://cytech.way-nifty.com/blog/2008/04/post_6f22.html)という記事が載せられていて、興味深く思った次第。

■ AMC-14
 概要を話せばこういうことである。
 SESアメリコムという世界最大級の商用衛星運用会社が所有する衛星、AMC-14 は、ロシアのプロトン打ち上げ機を使って3月に打ち上げられた。しかし、打ち上げ機の不具合により、静止衛星軌道である高度3万6千キロに到達しなかったのだ。
 静止衛星を打ち上げる手順をかい摘んでいえばこうだ。
 まず第2段ロケットを使って高度400キロほどのパーキング軌道へ乗せる。ここから、再び第2段ロケットを使い、近地点がパーキング軌道(約400キロ)、遠地点が静止衛星軌道(約3万6千キロ)であるような楕円軌道(トランスファ軌道)に乗せる。その後、遠地点のところで衛星本体についているアポジモーターに点火して(または第2段ロケットを再使用する方法もあるらしいが)、静止衛星軌道に乗るわけである。
 衛星自体は潮汐力などの関係からか軌道から地表に向けて落ちてくるので、ときおり衛星本体のエンジンを使って本来の軌道へ戻す作業が必要になる。当初のアポジモーター点火の際を含め、衛星本体に内蔵された燃料を使い切ればゲームオーバー、もとへ、衛星の寿命は終わりである。

■ フライバイ

 今回、第2段ロケットがうまく動作しなかったことで、衛星はいま遠地での高度が約2万8千キロほどの軌道にあるという。衛星本体のエンジンでここからいきなり3万6千キロの軌道に移るのには無理がある。そこで、天体(地球などの惑星や月)の重力と公転運動とをうまく利用してフライバイ(スイングバイ)と呼ばれる方法が検討された。天体の周りを回して衛星に速度をつけるのだが、天体は公転軌道に沿って移動しているため、衛星は天体に対して対称に飛ぶのではなく公転のエネルギーをもらって、当該天体からより遠くへ(またはより近くへ)飛ばされるのである

 もっとも今回の場合、フライバイを行うためには衛星自身のエンジンを作動させてそのための準備(もとより予定外の準備)をしないといけない。このために本来この衛星に予定されていた寿命である15年はもたず、うんと短縮されて約4年の寿命になる計算である。つまり、AMC-14 は、フライバイを行って軌道を回復させたとしても、残り4年の寿命になってしまうのである。

■ 泣きっ面に…
 そこへ加えて特許問題が噴出している、というのが件の話題である。あるニュース記事によると問題の特許権は、ボーイング社の USP6,116,545(以下、例のごとく545特許と呼ぼう)であるという。
 545特許のクレイムは4つ。代表的なものはクレイム1(クレイム3も独立項だが当初の条件が若干異なる程度)らしい。

1. A method for transferring a satellite from an initial orbit about the earth, the initial orbit having a first inclination, to a final geosynchronous orbit about the earth, the final geosynchronous orbit having a second inclination substantially lower than the first inclination, by using a lunar gravitation-assist flyby maneuver, the method comprising the steps of:
placing the satellite into the initial orbit about the earth, the initial orbit having an apogee substantially lower than lunar radius;
placing the satellite into a translunar orbit, the translunar orbit having an apogee near lunar radius;
placing the satellite into a lunar flyby maneuver near apogee of the translunar orbit, whereby the inclination of the orbit of the satellite with respect to the earth is significantly reduced;
placing the satellite into an earth-return orbit, the earth- return orbit having a perigee near geostationary radius; and
placing the satellite into the final geosynchronous orbit about the earth.

これは月を利用したフライバイで、抄訳すれば、

  • 実質的に月軌道より低い位置に遠地点がある、当初地球周回軌道に衛星を乗せる
  • 月軌道と同程度の高度に遠地点のあるトランスファ軌道に衛星を乗せる
  • 遠地点近傍で、月を利用したフライバイ操作を行って、地球に対する衛星の軌道傾斜角が顕著に減少するようにし、
  • 衛星を、その近地点が地球静止軌道半径にあるような地球帰還軌道に乗せ、
  • 衛星を、最終的な対地同期軌道に乗せる

というものである。ここで対地同期軌道というのは、静止軌道から軌道傾斜角のついたものである。いろんな理由(大人の事情)からここではより一般的な語である「対地同期軌道」と書いたものであろう。
 ある記事には地球を利用したフライバイと書いてあったが、記事内容と特許番号とどっちかが間違いなんだろうか?

■ まぁ、それはいい(よくないけど)。
 とにかく、SESアメリコムとしては、AMC-14 を静止軌道に戻そうとすれば、ボーイング社の特許権を使わないとならないと判断したらしい。で、もう一つの問題は、SESアメリコムはボーイング社を相手取って別の問題で係争中であるということだった。こちらの訴額は5千万ドル程度らしく、仮に勝てればSESアメリコムは、5千万ドルの損害賠償を得ることになる。ボーイング社は早速、この5千万ドルの要求を引っ込めれば、特許の使用を認めるという交渉をしたらしい。
 SESアメリコム側でもいろいろ考えることがあったのだろうが、比較考量の結果、AMC-14 の軌道修正を諦める方向で検討している模様である。

■ だが
 ちょっとまてよ。この権利は米国特許権である。ご存知の通り(?)、米国特許権の効力は米国内にしか及ばない(属地主義)。では、例えば日本国(対応特許権がないことが前提だが)で、この衛星を制御してフライバイ操作を行い、静止軌道に乗せてあげたら、その場合どのようにしてこの545特許を侵害したと構成するのであろうか。

 むむむ。地球上でも困難な問題(国を跨ぐ侵害の問題)がいま、宇宙空間と地球上との間でも発生している。月面を勝手に分譲して販売している企業(ルナ・エンバシー)があるが(そういう私も一口買ってしまったのだが)、そういう可愛らしい(?)問題ではない。
 操作地で判断するか? それとも衛星所有企業の国籍? 衛星の主たる利用国? それとも…??

※ 例えば次の本の「スウィングバイのエネルギー源は?(掘源一郎)」を参照。

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5 もう一歩踏み込んだ説明が欲しい

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コメント

今ググッたら、中山先生の還暦記念論文集に「宇宙空間における特許権」という標題の論文が掲載されているようですね。興味深いから見てみよう。カードリーダー事件では、アメリカ特許法に基づいて日本国内での行為を差止めることはできませんでしたね。この判例も論理構成上いろいろ批判があるようですが。

投稿: 同業者 | 2008年4月16日 (水) 09時55分

上記論文を昼休み中に斜め読みしてきました。
米国特許法105条「宇宙空間における発明」なんて条文があるんですね。知らなかった。なんというか傲慢な国だなあ。宇宙空間なんて自分の持ち物くらいに思ってるみたいですね。

投稿: 同業者 | 2008年4月16日 (水) 12時57分

コメントありがとうございます。

まぁ、35USC105 も、
under the jurisdiction or control of the United States
とありますので、宇宙空間での発明実施の全部が全部というわけでもないと思いますが。それにしてもちょっと解釈の難しい条文で、チザムなんかには何か書いてあるんでしょうか。まだ digest すら買っていないもので…

その中山先生の論文も面白そうですね。機会があったら見てみたいと思います。

投稿: ntakei | 2008年4月17日 (木) 02時33分

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