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2007年10月 2日 (火)

ちゃんと書くとは、というはなし

「先に出した者勝ち(先願主義)」のルールである以上は、出願時点で開示した範囲を超えて補正をするのは、(出願時が補正の時点に繰り下がるルールでもあれば別だが、補正の効果が出願時に遡及して生じるので)後出しのじゃんけんと同じで、公平でない。それは別に補正に限った話でなく、例えば人差指を一本だけ伸ばした手を出して、あとから「チョキの意味だったんだ、わかるだろ?」と述べたとしても(最尤推定としてはチョキであるとしても)、後出しと同じことである。
 あれ?いつのまにか、じゃんけんの話になっちゃった。特許の話だったのに。

▽ 先日、某所で記載不足って怖いよ、っていう判決を耳にしたのだ。

■ 平成18年(行ケ)10273号事件
 本件に係る特許発明は、その出願日が平成7年まで遡る。少々古い話なのである。モノは、オフセット印刷機の圧胴等に関わるものだ。
 オフセット印刷、というのは名前は広く知られていると思うのだが、技術的事項をちょっと補足しておくとこういうことである。
 印刷というのは、複写機やプリンタなどとは違って、「版」というのをつかう。印刷する内容を表した金属の板であるのが普通だ。例えば版画のように凹凸で表す方法もあれば、インキを保持するところとしないところとを何らかの方法で形成した平板印刷というのもある。
 ところで、この版にインキをつけて、紙に押し付ければ印刷のできあがりではあるのだが、紙というのは案外、この版に傷をつけてしまいがちなもので、あんまり大量の印刷をしていると、紙によって版が傷つけられてきて、印刷像が汚くなることがある。
 そこで、紙よりも平滑で柔らかいゴムのようなものに一旦「印刷」し、このゴムに作った印刷像を紙に押し付ける方法(オフセット)というのが行われるようになってきた。ゴムならば、紙の凹凸に押し付けられても復元するし、版も傷つけにくいわけだ。
 さて、そういう印刷機で、両面印刷をする場合を考えてみる。片面に印刷した後、その裏面をゴムに押し付けるため、印刷像が乗っている側からローラーで強烈な圧力を加える。そうすると、折角印刷した像が、ローラーにくっついて剥がされてしまう場合があるのだ。
 本件発明はそれを防止するために、ローラーに細かな凹凸をつけ、そこへ被膜を張って、滑らかな凹凸をつくり、「点接触効果」によって紙とローラーとがべったりとつかないようにして、印刷像の剥離の可能性を低減するというものだ。

■ 権利の内容
 権利化時点でのクレイム(特許第3439569号)は、次の通りである。公開公報から察するに、出願時の請求項1+2の補正で通っている感じだ。

【請求項1】印刷装置において、印刷要素に対して被印刷体を圧着し、その後移送する被印刷体圧着・移送系に配置される圧胴または中間胴であって、脱脂、ブラスト処理された金属製ローラ基材上に、多孔質のセラミックス溶射層と前記セラミックス溶射層の表面上および孔部内に形成された低表面エネルギー性樹脂層とからなる複合被覆皮膜が形成されており、かつその表面性状が表面粗度Rmax20〜40μmで、滑らかな凹凸を有するものであることを特徴とする圧胴または中間胴。

 ところが、これに異議がかかり、訂正審判を経て、クレイムの内容が訂正される。
 この異議訂正審判後のクレイムは、次の通り(主たる訂正点は下線部)。

【請求項1】印刷装置において,印刷要素に対して被印刷体を圧着し,その後移送する被印刷体圧着・移送系に配置される圧胴または中間胴であって,脱脂,ブラスト処理された金属製ローラ基材上に,気孔率5~20%を有する多孔質のセラミックス溶射層を溶射して非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面を形成し,更に前記多孔質セラミックスの凹凸表面層上および孔部内を実質的に全面的に覆うがセラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するように低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成されており,かつその表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するものであることを特徴とする圧胴または中間胴。

 ここでは権利化のために、セラミックス溶射相の気孔率の限定と、低表面エネルギー樹脂によるコーティングの限定が行われている。なお、クレイムに使われている文言がなんだかアレであるが、出願当初明細書において、限定事項になると想定されていない文言を拾ったのじゃないかと思う。どっこい、こんなんでも特許として登録はされ得る。

 さらにこれに対して無効審判がかかる。審判での引用文献は、判決における甲1文献、実公平5-12203号公報である。この甲1と本件請求項1に係る特許発明との相違点として、審決は4つほどあげるが、以下の話のため、そのうち相違点3,4をご紹介すると…

・ 相違点3
本件特許発明1では,セラミックス溶射層は気孔率5~20%を有しており,セラミックス溶射層の表面は非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成されているのに対し,甲1発明では,この点について特に記載はない点。
・ 相違点4
本件特許発明1では,多孔質セラミックスの凹凸表面上および孔部内を実質的に全面的に覆うがセラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するように低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成されており,かつその表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するものであるのに対し,甲1発明では,この点について特に記載はない点。

■ 書かれていなかったこと
 そしてセラミックス溶射層の気孔率について、明細書では次のように説明されている。

【0026】なお、セラミックス溶射層が数μm〜数十μmの微細な気孔(連続気孔)を気孔率5〜20%で有することが望まれるのは、セラミックス溶射層に後述する低表面エネルギー性樹脂層を安定して複合形成可能とするためであり、気孔率が5%未満では表面活性樹脂がセラミックス溶射層内部に十分に入り込めず剥離性が高まる虞れがあり、一方、気孔率が20%を越えるものであると、複合皮膜の骨格構造となるセラミックス溶射層の強度が低下する虞れがあるためである。…(後略)

 なるほど、一応臨界的な意義を記載しているかのようにも見える。ところが、この記載にはちょっとした盲点があった。それは、
溶射被膜を普通に形成すると、気孔率が数%から20%の溶射層ができる
ということだ。
 つまり、あたかも技術的臨界意義を定めているように記載してありながら、実は普通に溶射被膜をつくれば、自動的にその条件を満足するらしいのである。

 むろん、「数%」と「5%」との差に被告(なお、本件は当初の被告から会社分割によって特許権譲渡を受けた被告訴訟引受人が訴訟手続を続行しているのだが、ここでは簡単のために被告という)は噛みついた。だが、いかんせん、「数%」と「5%」との差を生み出すための溶射方法に関する工夫が、明細書に記載されていないのである。

 そしてもう一つ。原告の主張によると「(本件の請求項1記載の発明は、)低表面エネルギー樹脂の厚さを要件とするものではないから,(被告の想定する)態様以外に,セラミック溶射層の凹部に充填された低表面エネルギー樹脂がセラミック溶射層の凸部を超える厚さを有する態様…(中略)…も含む」という。
 被告としては、凹凸面に適当に被膜を張れば、下の凹凸が維持されるはずと考えたのだろう。しかし、実際には低表面エネルギー樹脂の量によっては、下の凹凸が維持されたとしても、点接触効果を奏しない程度になる場合があるのではないか、というわけだ。
 被告は、明細書の記載を参酌するべきと反論したが、裁判所は、クレイムに記載がないと一蹴している。まぁ仕方のないところであろう。

■ 失策
 さらに被告は、重大な失策を犯している。それは被告準備書面での主張だ。判決でも指摘されてしまっているが、被告は準備書面でこんな陳述をしているのだ。

「Rmax30~50μm程度を達成するようにセラミックスを溶射すれば,凹凸の凸部が存在する割合(ピッチ)は,ほぼ必然的に,点接触効果を奏するために必要かつ十分な割合(請求項2で規定する割合の範囲内か,それに近い割合)で存在することになる。」

 これは要するに、甲1号証の通りにつくれば、必然的に本件発明になる、と自白しているも同然で、悲しいかな、裁判所が「本件請求項1は、実質甲1号証の通りに作れば得られたものではないか?」という心証を得るのに十分なアシストをしてしまったのである。

■ したがって本件判決の結果は……、そういうことになるのだが、一つには発明のないところへ、発明があるかのように理由付けをしても、権利行使は覚束ないという話ではある。さらに、仮にこれが本当に発明であるとしたら、先行技術調査不足か、または技術常識の不足のために、限定事項に技術的意義を与えるに十分な開示をしなかったことが悔やまれるところだろう。
 発明者から上記0026段落に開示のような説明を受けてしまうと、何となく納得してしまう場合も多かろう。この点が本当に発明として浮かび上がるためには、ただその臨界的意義を明らかにさせるだけでは足りなかったのだ。そこいらの明細書指南本で、当たり前のように「発明をしっかり開示」と書いてあるのがどんなに実際は難しいことであるか
 時間が不足していたり、「そこは隠しておきたい」というニーズがあったりして難しい場合が多いけど、限定的な事項となり得ることを明細書に入れるときは、そこに発明があるかどうかを念入りに検討するべきで、もし発明があれば、それはちゃんと最初から書いておくべきなんだ。そうでないと、最後の段階で権利行使が覚束ない羽目に陥ることになる。

 あぁ、そうだ。もう一つ。準備書面の記載内容の検討は一言一句を検討して、主張と衝突しないように(自白などにならないように)、慎重に慎重を重ねるべきです。

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