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2007年2月15日 (木)

乱読日記[43]

「量子力学と私」,朝永振一郎 (江沢洋・編)

岩波文庫のいわゆる「縦書き」の科学書である。ではあるが、本書は実に量子力学の本質を説いていて、悩める量子力学初学者のための手引書としても格好なのではないかと思う。

▽ 物理学科に入学した学生にとって、最初の衝撃は力学における剛体の理論で、次が解析力学ではないかと思う。剛体の理論自体は、質点系のオバケ(質点系を積分しただけ)のようなものだからちょっと数学で頑張れば問題はないが、解析力学に至ってはラグランジュアンとかいうものが突然現れ、その演算たるや、数学的には奇想天外、奇怪至極、原語明瞭、意味不明瞭なのであり、そうかと思って納得するころには、またハミルトニアンとかいう舌を噛みそうなものが現れて…

※読み返してみたら、なんだか記事が難しくなっちゃいました。お恥ずかしい…。

■物理の学習
 朝永振一郎は、みすず書房から発刊されている「量子力学 (1)」の序文で、こう述べている。

量子力学の幼年時代を、現在の立場で取り扱った適当な書物がないので、本当に量子の概念をつかもうとする若い研究者はしばしば困難を感ずることが少なくない。

 人間の考えるところというのは、大体において似たり寄ったりなので、物理の概念といえども大層なことはないわけである。それを解説する人間に問題があるだけのことだ。
 「踊る人形」事件のシャーロックホームズじゃないが、

"it is not really difficult to construct a series of inferences, each dependent upon its predecessor and each simple in itself. If, after doing so, one simply knocks out all the central inferences and presents one's audience with the starting-point and the conclusion, one may produce a startling, though possibly a meretricious, effect..."
(私訳:一連の推理を組立てるのは難しいことじゃない。それぞれの推理は単純で、先行する推理に続いているだけだ。だがもし、一連の推理を組立てた後で、途中の推理を捨て去ってしまい、聴衆に対して推理の始点と、結論だけを示したら−いささかインチキなんだが−聴衆をビックリさせるような効果を挙げるわけさ。)

というわけで、理論のでき上がる過程ではなく、理論を組み上げる基礎となった事実と、その結論としてでき上がった理論を整然と説明するだけでは、聴衆としては驚くだけで、個々の推理を学習することもできなければ、理論の体系を習得することもできないわけである。しかしながら現存する理工書のいかに多くが、こうした書き方で書かれているか

 そして例えば解析力学のラグランジュアンについてどうしてL=T−Uであり、その運動方程式がどうして「あの形」で、「あの演算」をしなければならないかまでを、分かりやすく書いている本は少ないと思う(例えば原島鮮の「力学 2 (2)」などは珍しい例ではないか)。長沼伸一郎の「物理数学の直観的方法」などは、ラグランジュアンなどの概念的意味について解説を試みているけれども、こちらは一応の理解を目指して納得の行きそうな線で説明をしているに過ぎないと思う。

 従って一般的に理工書に対峙するときには、理論の帰結を一応は受け入れて暗記してしまい、その演算の運用に慣れていく過程でその本質を探らざるを得ない。量子力学でいえば、例えば村井康久の「量子論講義」にあるような議論で一旦は納得してしまうと手っ取り早い。この議論では、

物理というのは、状態ベクトルという不思議なベクトルに対して、観測したい量と同じ次元の作用素を掛けてやれば、その作用素についての固有値として観測したい量が得られるんだよ、

としてしまう。従って量子論で基本的な式の一つである(時間を含まない)シュレディンガ方程式は、

HΦ=EΦ

となるのである。Hはハミルトニアンに対応する作用素で、エネルギー次元だから、その固有値はエネルギーEであると考えてしまうわけだ。ここまで単純化して一旦はこの帰結を受け入れてしまえば、しばらくはこの固有値問題の数学を弄ぶだけで問題が解ける。

■本質は別のところに?
 それじゃぁ、シュレディンガ方程式でのハミルトニアン作用素のあの形は何者だ、という人には、いっそファインマンの量子力学の説明(例えばファインマン物理学 (5)「量子力学」でもよいし、近所のおばさんから「私にも分かるように量子電磁気学を説明せよ」とせがまれてファインマンが書いたという「光と物質のふしぎな理論―私の量子電磁力学」でもいい)が役に立つ。ファインマンの量子力学の説明はいささか変わっていて、他書に類をみないものである。
 じっさい、ファインマン経路積分についての最初の論文は Review of Modern Physics(RP Feynman, Rev. Mod. Phys. 20, 367 (1948)) という雑誌に出ているわけだが、その出だしからして、「…いろいろな見方をするのは楽しい」というような書かれ方をしている。なお、当初は Physical Review(Phys. Rev.) に投稿したようだが、「量子力学は既にでき上がった理論だ」としてリジェクト(掲載拒否)されたらしい。Phys. Rev. らしい失敗である。ファインマン経路積分の一次近似がそのままシュレディンガ方程式になる。

 しかしそれで本質が理解できるか、というと、そういう気にもならないのである。たしかに物理的な描像としてはファインマンの説明はトドメの一撃に近い。しかしそれでシュレディンガ方程式やディラックの本が了解できるようになるかというと、それとこれとは違うのである。

 そこへ朝永振一郎の量子力学の説明は迫るのである※。

※そういえば、大学院へ単発の講義に来たロシア人の物理学者が、「世界最高の量子力学の教科書を知っているか。それは朝永の量子力学だ!」と力説していたのをいま、思い出した。

■本書は、朝永振一郎の著作をいくつかまとめたものである。このなかでも最も素晴らしいと個人的に思うのは「量子力学的世界像」と題された文章である。物理量をテンソル量として表すという概念を導入して実験との整合性を求めていく話から、テンソル量を表す楕円体において主軸方向の異なる2つの量(共役な量)A,Bをとってくると、これらの積は一般に可換にならず、

AB−BA=K/(2πi)

にならざるを得ない(Kは定数)。物理では、この定数Kとしてプランク定数hを使うことになる…と。
そこで朝永振一郎は、

「(量子)力学は、ニュートンやマックスウェルの理論と同様に、いろいろな物理量が時間の連続関数として決定論的に変化する仕方を規定する。ただこれらの古い理論と異なるのは、物理量がテンソルとして表されていて、ただの数でないということだけである。」

とまとめる。こういう総括は書店に並ぶ量子力学の本をいろいろ当たってもそうは見出すことができない種類のものだろうと思う。

 また光が粒子性とともに波動性を示すという量子力学固有の描像についても、「光子の裁判」という小文でおもしろく説き起こしている。そうかと思うと、ノーベル賞を受賞することとなった「くりこみ理論」への道程で、ドイツ留学中の憂鬱な悩める時期を送っていることを示す朝永の日記が抄録されていたりする。この抄録は、本書に採録された文書の中でも一際異彩を放っていて、朝永振一郎という人間の意外な内面を表している。

 量子力学というものを垣間見たいという人のためにも、また、理論物理学者という人間がどんなことを考えるものかに興味がある人にも、本書はおもしろく読める一冊だと思う。量子力学の初学者にとっては、冒頭にも書いたように、ある意味で大変参考になる一冊じゃないだろうか。しかしながら本書を読むのに数学の知識などは殆ど必要にはならないので、ご安心頂きたい。


■以下、蛇足的なことがらながら…

 「光子の裁判」を見ていてふと思った。大学学部での私の卒業論文では、水素原子に対して電子が外部から打ち込まれたときの過程を古典力学の手法を基礎に演算した。水素原子は、電子(e)と、原子核である陽子(p)とからなる。そこでこの系は形式的に、e+(ep)と書かれる。古典力学的に考えるので、当初、水素原子を構成している電子(eHと書こう)と、打ち込まれる電子(einと書こう)とは区別可能になっていて、
ein+(eH,p) が、

(1)ein+(eH*,p) になるケース(水素原子内の電子が励起するケース)
(2)ein+eH+pになるケース(水素原子内の電子が弾かれてイオン化するケース)
(3)eH+(ein,p)になるケース((2)の過程からさらに、打ち込まれた電子が原子核に取り込まれてしまうケース)

の3つのいずれかになる。そこで、水素原子の初期状態をランダムに変更してやり、モンテカルロ積分の方法でそれぞれの発生確率を調べるのである。この方法をCTMC(Classical Trajectory Monte Carlo)という。
 古典的な方法を採用していながら、案外実験に合うという不思議なものなのだが、こうして《電子が区別できる状態で扱っているのに、どうして量子力学的な結論に合うんだろう》と改めて不思議に思った。
 当時、ファインマン経路積分の鞍点法の近似で、古典軌道近傍の寄与が大きくなるとみるケースに似ているのではないか(CTMC自身がファインマン経路積分の演算に似ているのではないか)と考えたものだが、当時のノートを見返しても、あまりちゃんとした計算ができていないようだ。どうやら、私はよっぽど物理屋に向いていないと見える。でも、もういちど余暇として物理をやってみようかな。

□朝永振一郎の「量子力学」
第1巻はマトリクス力学ができ上がるところまで。これも類書のない素晴らしい著作だ。

第2巻は波動場の話まで。

第3巻はスピン、観測の理論など。

□手っ取り早く計算ができるようになるために、「量子論講義」は取っ掛かりとして良書だと思う:

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コメント

ntakeiさん。
こんにちわ。
遅くなりましたが、条約のアドバイス有難うございます。
論文ですが、自分なりに形を身につけるために頑張っています。
今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: ぴょん吉 | 2007年2月15日 (木) 12時25分

光子の裁判、なつかしいですね。
まだ若かりし頃(--;)の私は、結局これでも量子力学の本質は分かったような分からないような気持ちの悪い状態で、その後勉強が進むうちにますます分からなくなってしまい、今日に至ります。解析力学なんかもちっとも意義を理解しないままひたすら計算を追っかけてましたが、そのときの講義の教科書はこの原島鮮「力学II」だったんですけどねぇ(まあ、そのときの講師の先生はちょっと・・・・な方でしたが)。
 とりあえずダンボール箱のどれかに眠っているはずの「量子力学と私」を読み返したくなりました。今ならもう少しマシな理解ができるかも・・。

投稿: Kaz | 2007年2月15日 (木) 15時44分

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