点と線と面−サポート要件のはなし
子供の頃、数の規則性というのに興味を持っていろいろと調べているうち、つい2つ3つの事例から、それを一般化した規則を思いついて有頂天になって…しかし!…という経験をお持ちの方はないだろうか。
そういえば量子力学に対する貢献で著名な P.A.M. ディラックは、自説に基づく計算結果が実験と合わなくなることを怖れ、十分な数の検証をするまでに時間がかかったという。
▽ 特許明細書と請求範囲との関係にも似たようなことが起こり得る。実際に行った実験例に対し、そこから合理的に想定される範囲を権利範囲として請求することはよくある。ところがいま、この点が密かに(?)問題になりつつある。
■審査基準
問題になるのは、36条6項1号という規定である。
□36条6項(1号)
第2項の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
1.特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること
この要件は、「サポート要件」と呼ばれる。特許制度は、技術公開の代償として独占権を付与するものだから、公開しない発明について権利を請求することがないように、明細書に記載のない部分を含む請求範囲を記載しないように求めた、というのが、この規定の趣旨である。
平成15年10月の改訂審査基準によると、この36条6項1号の違反の類型として、
(3)出願時の技術常識に照らしても、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない場合。
といったことが列挙されており、審査において、次の点に留意すべきとある。
(ii)請求項は、発明の詳細な説明に記載された一又は複数の具体例に対して拡張ないし一般化した記載とすることができる。発明の詳細な説明に記載した範囲を超えないものとして拡張ないし一般化できる程度は、各技術分野の特性により異なり、妥当な範囲は事案毎に判断される。この判断にあたっては、特定の具体例にとらわれて必要以上に制限的にならないよう留意する。
(iii)出願時の技術常識を参酌しても、発明の詳細な説明に開示された内容を請求項に係る発明の範囲に拡張ないし一般化することができないと判断される場合は、審査官は、その判断の根拠を示すことにより、拡張ないし一般化できないと考える理由を説明する。
「拡張ないし一般化できるか」、これがキーワードである。一般化された権利範囲は、どの程度の例示があれば請求できるのか。これが問題になっている。
■事例
この問題について、一つの事例が平成17年(行ケ)10042号事件(パラメータ発明事件)である。
クレイムは、
ポリビニルアルコール系原反フィルムを一軸延伸して偏光フィルムを製造するに当たり、原反フィルムとして厚みが30〜100μmであり、かつ、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が下式で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルムを用い、かつ染色処理工程で1.2〜2倍に、さらにホウ素化合物処理工程で2〜6倍にそれぞれ一軸延伸することを特徴とする偏光フィルムの製造法。
Y>−0.0667X+6.73 ・・・・(I)
X≧65 ・・・・(II)
但し、X:2cm×2cmのフィルム片の熱水中での完溶温度(℃)
Y:20℃の恒温水槽中に、10cm×10cmのフィルム片を15分間浸漬し膨潤させた後、105℃で2時間乾燥を行った時に下式浸漬後のフィルムの重量/乾燥後のフィルムの重量より算出される平衡膨潤度(重量分率)
となっている。争いになったのは、この不等式(I)である。明細書においては実施例として、いずれも完溶温度72度前後、平衡膨潤度が2.2及び2.4程度となっている2つの例が開示されるのみで、これから(I)式がサポートされているか、という問題である。念のため付言すると、本件は、一旦特許権が成立してから(特許3327423号)、特許異議申立(異議2003−70728号)がなされ、それによって特許権が取り消されたという経緯を辿ったものである。そしてこの判例は、その異議決定に対する審決取消訴訟である。
老婆心ながら、特許異議申立というのは最早特許法にない制度なのだが、申立人が対象請求項を定め、一応の理由を付して、ある特許に異議を申し立てると、それを契機として特許庁が再審査をかけるというような制度である(従って当事者系ではなく査定系の手続ということになる)。そして権利を維持するか取り消すかを特許庁が決定するのである。この決定に対しては審決取消訴訟で争うことになる。
判決にいわく、
「特性値を表す二つの技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を構成要件とする、本件発明のようないわゆるパラメータ発明において、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するために、発明の詳細な説明に、特許出願時の技術常識を参酌してみて、パラメータ(技術的な変数)を用いた一定の数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要すると解するのは、…(中略)…明細書の本来の役割に基づくものであり、…」
とある。この文はひどく長く、悪文の見本のような文である。まぁ、その趣旨は、出願時に実験結果などの具体的な例を十分書いておかないとパラメータとしてこれが正しいとは分からないよ、ということである。
所望の結果を得るために、一応こういう値にしておけばよい、との心証を得るのに必要な実験の数は、技術者によって異なるだろう。また、大量に実験をした結果、ある数値では特異的に結果がでない、というような現象があったとしても、全体として有用な技術であれば特許権として登録しておきたいというのが心理であろう。そして特許というのは、必ずしも100%成功する実施例を開示するよう求められたものではないのである(著名な御木本幸吉の真珠養殖方法が良い例である)。
そういう側面を鑑みるとき、この判決や審査基準が示すサポート要件のあり方が果たして妥当なのかどうか、甚だ疑問である。ある意味では、特許庁はもはや、有用な技術を保護することを放棄しているようにも思われる。
と、いうのも、このサポート要件というのを持ち出してしまえば、実験例によってある程度の範囲を定めなければならない特許出願のほとんどを、何らの審査をせずに拒絶できてしまうからである。そして、実験例のあるポイントだけの権利にしてしまうことができるのである。
なお、「知財管理」誌の今月の号(Vol.56, No.12, 2006)には、「特許出願のサポート要件と補正・分割の適法性要件との関係に関する考察」と題する記事が掲載されていて、そこで「判決の説示する一般論をみると、サポート要件の適用対象が、実質的にパラメータ発明や機能的クレームによって記載された発明に限定される、というような論理にはなっていない」と指摘されている。これは確かにその通りなのだが、そうとすると、電気等の分野の人間も、化学・バイオ分野に固有の話としてタカをくくってはいられない。
ちなみに、この記事は、サポート要件自体にスポットライトを当てたものではないので、念のため。
■諸外国
一方、諸外国をみると、例えば米国の112条第1パラグラフの Written Description Requirement であるが、これについての判断もやや厳しくなっているとは言われている(化学・バイオ特許の出願戦略,p.169-)。もっともその判断は、諸外国においても未だ揺れているようではある。
■今後、このサポート要件が濫用されることのないように、ユーザと代理人とが十分に監視し、不当な結論についてはそれなりに声を上げていく必要がありそうである。
□「改訂2版 化学・バイオ特許の出願戦略」
パラメータ事件のほか、粘土事件(平成17年(行ケ)10137号)や、サポート要件について厳しい判決であった、GM−CSF事件(平成9年(行ケ)249号)を検討している。また、記載要件その他の点について具体例も適量、上がっている。こういう本は書きすぎと書かなすぎとの中間をうまくとるのが難しいんだけど、この本についていえば、バランスよく書かれていると思う。
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